最近、子どもとの関わり方について、少し考え方が変わってきました。
きっかけは、娘が「シール帳をやりたい」と言い出したこと。
「え?今?」
正直、そう思いました。
少し前に流行っていた印象もあるし、シールを買い始めたらエンドレスになりそう。お金もかかる。
「それって、そんなに必要かな?」
そんな気持ちもありました。
でも、そのあと娘が兄とシールを交換しているのを見ていたら、二人ともものすごく楽しそう。
「このシール欲しかった!」
「じゃあ、これと交換しよう!」
そんなやりとりをしながら、二人で笑っています。
そこで、ふと思いました。
「あれ?そこが楽しいんだ。」
親から見ると、ちょっと無駄に思えるもの。
でも、本人たちにとっては、ものすごく楽しい。
だったら、それでいいんじゃないか。
そう思ったのです。
私は10年近く、敏腕プロデューサーだった
振り返ってみると、私は子どもたちにいろんな経験をさせようと、かなり頑張ってきました。
特に子どもたちが小さい頃はコロナ禍。
一緒にスーパーへ行く。
洋服屋さんで自分の服を選ぶ。
お店で実際に触って、試着してみる。
そんな、ごく普通の経験がなかなかできませんでした。
だから私は、代わりにいろんなものを探しました。
「今の年齢なら、こんな経験もいいかな」
「これは身体を動かす経験になるかな」
「こういうイベントに行ったら、何か好きなものに出会うかもしれない」
洋服や靴だって、
「この素材なら大丈夫かな」
「この色なら気に入るかな」
と、一生懸命選んできました。
いつの間にか私は、
「子どもの人生の敏腕プロデューサー兼マネージャー」
みたいになっていたのです。
イベントを探して、予定を組んで、連れて行く。
習い事を考えて、練習を促す。
気軽な気持ちで始めたことが、気づけば10年近く続いていました。
今思うと、これもかなりの「お仕事」だったなと思います。
でも、「子ども自身が、自分で選ぶ」は少なかった。
私はずっと、
「この子の好きなものに出会わせてあげたい」
と思っていました。
だから、いろんなものを見せて、いろんな場所へ連れて行って。
でも、ふと気づいたのです。
「私が探して、私が選んで、私が用意しているから、子ども自身が選ぶ機会は少なかったんじゃないか?」
と。
「習い事、何したい?」
「休日、何したい?」
そう聞いても、
「分かんない」
「別に」
となることも多い。
私はそれが少し心配でした。
「自分から、これがやりたい!って言うものがあったらいいのにな」
と思っていたのです。
娘の「シール帳」で気づいたこと
そんな娘が「シール帳をやりたい」と言った。
最初は「今?」と思ったのに、実際に兄と楽しそうに交換している姿を見たら、なんだか考えさせられました。
私はこれまで、
「将来役に立つこと」
「経験になること」
「意味があること」
には、一生懸命になってきたのかもしれない。
でも、
「ただ楽しいだけのこと」
には、どこか価値を置けていなかったのではないか。
それは、私自身も同じだった
そこで、自分のことを思い出しました。
私は子どもの頃、
「それをやって何になるの?」
「お金にならないよね」
「買ったほうがいいんじゃない?」
そんなふうに言われることがありました。
だからなのか、
「好きだからやってみたい」
という気持ちに、自分でもなかなか価値を置けませんでした。
何かをするなら、
「将来役に立つ?」
「仕事になる?」
「お金になる?」
「意味がある?」
そんなことを考えてしまう。
大学へ進むときも、将来何がしたいのか、何になりたいのか、正直よく分かりませんでした。
だから、目標は「点数」になりました。
点数を取る。
受験に受かる。
でも、その先に自分が何をしたいのかは、よく分からない。
今思えば、頑張る理由を見つけるのが難しかったのも当然だったのかもしれません。
「好きに価値がある」と思っていい
最近、私は少しずつ、自分自身の「好き」を探し始めています。
アクセサリー。
天然石。
アロマ。
ジェルネイル。
「これ、好きかも」
「ちょっとやってみたい」
と思ったら、実際に触れてみる。
まだ仕事になるかも分からない。
向いているかも分からない。
それでも、
「やってみたいから、やってみる」
を少しずつやっています。
そして、そんな中で、
「あ、こっちだ♡」
と思う瞬間があります。
それが、すごく楽しい。
そこで私は気づきました。
「私の『好き』にも、価値があるんだ。」
すぐに役に立たなくてもいい。
お金にならなくてもいい。
誰かに「それ、何になるの?」と思われてもいい。
好きだからやってみる。
楽しいから続けてみる。
それだけでも、人生の中ではちゃんと意味がある。
「企画書を作る人」から、「企画が出てくるのを待つ人」へ
子どもに対しても、少しずつ変えていこうと思っています。
今までは、
「何か好きなものを見つけてあげなきゃ」
と、私が企画して、探して、用意していました。
でも、これからは少し違う。
私は、
「企画書を作る人」ではなく、
「企画が出てくるのを待つ人」
になってみようと思います。
「こんなのあるよ」
と、きっかけを置くことはする。
でも、やってみたいと言ったら一緒に考える。
やってみて違ったら、
「そっか、違ったね」
でいい。
失敗してもいい。
ちょっと無駄だったかな、と思う経験があってもいい。
それも全部、
「私はこれが好きだった」
「これは違った」
という、自分自身のデータになるから。
待つことも、信頼すること
今まで私は、子どものために何かをしてあげることが愛情だと思っていたのかもしれません。
でも、
「あなたはどうしたい?」
と聞いて待つことも、愛情なのかもしれない。
「困ったら一緒に考えよう」
と伝えて、少し離れて見ていることも。
そして、
「お母さんは、あなたならきっと大丈夫だと思ってるよ」
と伝えることも。
子どもの人生を私が整えてあげるのではなく、
「あなたなら、自分で選んでいける」
と信じてあげる。
そんな関わり方も、これから少しずつ増やしていきたいと思っています。
私の「好き」にも、価値がある
これは、子どもだけの話ではありません。
私もこれから、
「それ、何になるの?」
ではなく、
「私、これ好きなんだね」
と言ってあげようと思います。
ネイルをしてみたい。
アクセサリーを作ってみたい。
アロマを体験してみたい。
そんな気持ちが出てきたら、
「仕事になるかな?」
と考える前に、
「じゃあ、ちょっとやってみよう♡」
でいい。
好きなものを見つけるのに、年齢制限なんてない。
今からでも、いくらでもいい。
「あ、こっちだ♡」
と思ったものを、一つずつ拾っていけばいい。
もしかしたら、私はもっと早くそう思って生きていたら、もっと自分を表現できていたのかもしれません。
でも、今からでもいい。
今まで「何になるの?」と置いてきてしまった自分の「好き」を、これから少しずつ拾っていきたい。
そして子どもたちにも、
「あなたが好きだと思うものには、ちゃんと価値があるよ」
と伝えていきたい。
「これが正解だよ」と道を作るのではなく、
「あなたはどうしたい?」
と聞いて待てるお母さんに。
そして、
「○○ちゃんを信頼してるよ。あなたなら、きっと大丈夫」
と言えるお母さんに。
そんなふうに、自分も子どもも、少しずつ自由にしていけたらいいなと思っています。
好きに価値がある。
これからは、そう思って生きてみようと思います。🌿


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